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島田咄嗟日記

ラップ

2013年9月14日 13:12  

 中学生の頃、叔父にブラックミュージックを編集したカセットテープをもらった。これが、ラップミュージックとの出会い。当時チャゲアスさん、ドリカムさんをはじめ、ニューミュージックばかり聴いていた僕にとっては、良くも悪くも新鮮だった。ミスターグリム、ネイトドッグ、ドッグパウンド、ラップではないがジョデッシーなどが収録されていた。
 「スポケノメバー、ハラカタハー、セペノメチーン、フェナカラハー。」
 真似して、歌ってみた。
 大阪の高校に入学し、体育の授業で一緒だった隣のクラスのさっこん(あえてひらがな。僕にとっては、さっこんは永遠にひらがななのです。)に出会う。叔父がすすめてきた地域とは別の地域のラップグループなどを教えてもらった。最初にハマったのは、ダスエフェクスだ。だから、初期の僕のラップは、テンポ70ぐらいのものが非常に多い。ただ、スイング8分や三連符の多用が嫌味に感じられ、今のフロウに至る。でも、BASHI(昔はHが入っていたのです。)のそれは、嫌味ではなくかっこいい。結局、センスの問題なのか(とほほ)。
 その後、クラブダウンさんでの「愛と誠」やさんぴんキャンプの影響で、日本語ラップも聴くようになった。キングギドラさんが、かっこよかった。和歌の脚韻のような「ケツ踏み」が印象的で、影響を受けた。
 さんぴんキャンプのビデオは、しゅう(韻シスト。高校同じ)に借りた。しゅうに作曲の本を貸して、数日後家に遊びに行ったら、僕よりも詳しくなってて付いていけなかった(笑)。
 高校卒業後、しゅうが、
 「紹介したいMCが居てる。」
 と言って、デモテープを持ってきた。「誰かがきっかけで始めたラップを、別の誰かがきっかけで俺は今やめようとしている。」といった内容で、処女作なのに曲名が「終止符」だった。数日後、その作者BASIが韻シストに加入する。
 ギターに飽きたという理由で韻シストをやめたけど、ラップを追及するいい切っ掛けになったので、今では良かったと思ってる。
 10年以上ラップしてるけど、もし今
 「ラップで、一番大事なことは?」
 って聞かれたら、「押韻の必然性」って答えようと思ってる。

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島田 智和

9歳の頃、「世界中に音楽の素晴らしさを広めたい」という想いから隣の空き家の門をたたく。 高校卒業から1年3ヵ月後の1998年6月、「韻シスト」を結成、及び命名。
ギターを担当。
翌年5月、「韻シスト」を脱退。
その後、幽玄としてのソロ活動、うさんくさ韻・カラクリ人形・創造人・逆関節クルーでの活動を経て現在に至る。

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